料理出来ないひとりごと

なぜ、味オンチになったのか

2020年5月2日

あくまで、私の場合。

それは、家族で食卓を囲む時間が、苦痛だったから。

ウチは、嫁姑の仲が悪かった。私は、どちらにも良い顔をしていた(つもり)。だから、その2人がそろう、食卓の場がつらい。その場はニコニコしてるけど、お互い陰では悪口を言っている。気をつかう。私はうつむいて、ご飯を飲み込む。

農家で大家族で、一度に全員は食卓に入れない。私はできるだけ時間をずらして食べる。

食事は、楽しい場ではなかった。食べ物の名前も、知らない物が多い。興味なくて覚えられない。例えば、鶏、豚、牛等の肉の違いは、最近分かってきた。

嫁姑(母と祖母)、どちらにも幸せになってもらいたいのに、何も出来ずに過ごす毎日も、つらい。生きるのが苦痛、楽しくない(死にたいわけではない)。

美味しそうに食べるということは、生きたい願望が強い人みたい。と、思ってしまうから、美味しさを求める気持ちが湧かない。栄養を口で味わって摂る構造じゃなければ良かったのに。なぜ、こんな構造なのか。

考えれば考えるほど、人間の栄養摂取の仕方は、団欒をとるためだとしか思えない。口で食べるから、食べる姿を隠せない。手のひらとかお腹とかに、栄養の取り込み口があったら、こっそり早弁なんて当たり前。と言うか、作業を中断しなくても摂取できる。

味覚がなければ、食事は呼吸と同じで、誰かと共有する事柄でもない。

でも、口で味覚を通して食べるから、作業を中断……しないまでも、食事に意識を回すことになる。

食事って、奥が深い!壮大になってしまった?

とにかく、そう言うわけで、食事を楽しむ気がないから、味覚は発達しなかったんだろう。と、言うことでした。

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